第3回 世界に発信できるような甲状腺診療を

伊藤病院が描く甲状腺医療の未来

目次

甲状腺疾患専門病院として長い歴史を持つ「伊藤病院」は、インキュビットとの共同研究開発により、エコー画像からの腫瘍検知と、「シェーマ図」という医師の診断に重要なレポートを作成するAIを開発しました。

甲状腺の超音波検査(エコー)を予約なしで受けられる伊藤病院では、外来患者数の増加に伴い、検査から診断にかかる時間を短縮する必要性を感じていました。臨床検査技師がエコーで撮影した複数の画像から、腫瘍の大きさや位置をレポート化する作業をAIで自動化することで、外来患者の待ち時間の短縮と、臨床検査技師の負担軽減が期待されます。

本インタビューでは、共同研究開発プロジェクトに携わった、伊藤病院外科医師の北川亘氏と臨床検査技師の天野高志氏、インキュビットの北村尚紀と坪井りんが、今回のAI開発について語り合います。

第3回は、プロジェクトによる反響から、日本における甲状腺医療の展望までを、期待感をこめてお話しいただきました。

プロジェクトをきっかけに特別シンポジウムで講演

坪井 : プロジェクトの最初のころに副院長にお会いしたときに、このプロジェクトに対する想いをお聞きしました。そのときに、「伊藤病院のため」というよりは本当に「全国の甲状腺疾患を扱う病院に役立つことができればいい」ということを、心からおっしゃっていて、すごく視座が高い印象があります。

伊藤病院 診療技術部 部長 北川先生

北村 : そうですね、そういうことを非常に感じられるプロジェクトでした。この共同研究の期間でプレスリリースを出したり、一緒に『映像情報メディカル』の方で執筆させていただいたりしました。他の病院や医師の方々から反響はありましたか?

北川先生 : ありましたね。「臨床内分泌代謝Update」と言う学術集会が2019年11月にありまして、そこで当院の内科医師がインキュビットさんとのプレスリリースを紹介したんです。するとその後、日本甲状腺学会の会長からコンタクトがありまして、「『AI in Thyroid』という特別シンポジウムをやるので講演してほしい」ということで、2020年11月に講演しました。

まだAIは甲状腺領域ではほとんど進んでいないので、そういう発表ができたのは良い機会だったと思います。あとは、副院長から、院内の勉強会で皆さんに知ってもらった方がいいと言われ、2021年1月に伊藤病院の勉強会でお話しする予定です。

北村 : 「AI in Thyroid」で行われた他の講演テーマはどういうものだったのですか?

北川先生 : 和歌山県立医科大学からの発表で、日本甲状腺学会とコスミックコーポレーションとの共同開発のAIを使用して「一般の甲状腺データから甲状腺疾患を推測する」という内容でした。そもそもAIと甲状腺に関して取り組んでいるところが少ないので、伊藤病院と和歌山県立医大で25分ぐらいずつ50分のセッションを行いました。

北村 : そういう機会につながる研究になれて嬉しいです。

エコーへのAI導入の難しさ

坪井 : たとえばAIでCTスキャンから肺がんを見つけるなどはずいぶん前から進んでいますが、甲状腺領域でAIの取り組みが少ないのには何か原因や心当たりはありますか?

北川先生 : まず甲状腺の機能検査は、採血すれば1時間で結果が出て診断がつきますので、そこにAIを使う余地があるのかということが挙げられます。腫瘍ができている場合はエコーをすると分かります。エコーのシェーマ作成は今回やっていただいているようにAIが入るのが非常に難しくて、まだ日本での事例はないと思います。エコーは技師さんが手動で撮るので、やはりCTとは違うのかなと思います。

坪井 : エコー画像の難しさについて詳しく説明していただいてもよろしいですか?

北川先生 : CTだと、セッティングすればどの放射線技師が撮ってもある程度同じような画像が出てきます。ですが、エコーは手動で撮るので、撮り方に癖が出てきて、誰が撮っても同じというわけにはいかないということでしょうか。

天野さん : エコーは各業者の機械によっても若干見え方が違いますし、検査者が患者様の首に当てるプローブという機器の押し加減によっても少し違います。また、検査時の画面の色合いによっても違うので、そういうところが難しいなと思います。

甲状腺の先端にあるような腫瘍をちゃんと発見し、撮影できるかも大切です。見えづらかったけれどよく見たら実はがんだったということもありますし、その腫瘍が小さければ小さいほど難しくなります。

世界トップレベルのエコー技術を持つ日本は、AI開発にも好環境

北村 : ありがとうございます。少し視座の大きな話もしたいと思います。甲状腺医療全体における現状での大きな課題や、次に乗り越えていかなければならない問題はありますか?

北川先生 : 甲状腺がんの1つに「濾胞(ろほう)がん」というがんがあります。通常はエコーと細胞診でその腫瘍が良性か悪性かの診断をつけるのですが、濾胞がんの場合は手術前の診断がエコーや細胞診ではつきません。将来はその診断がつくようになるといいなと思います。

もうひとつは、未分化がんというがん。急速に大きくなって死亡する可能性が非常に高いものです。今は「分子標的薬」という新しい薬が出てきて、それが少しずつ効いてはきていますが、やっぱりまだ治るものではありません。また、免疫チェックポイント阻害薬というさらに新しい薬も開発されています。この未分化がんも治療が確立できれば、甲状腺医療において非常に大きな進歩だと思います。

北村 : 以前伺ったときは、日本でのエコー画像の量と質が他国と比べ物にならないということをおっしゃっていたのですが、世界的な動きと日本との動きの違いはありますか?

北川先生 : 諸外国では、以前は甲状腺乳頭癌がんではほとんどが手術で甲状腺を全摘出してアイソトープという放射線の治療を加えています。日本では、低危険度のがんの生命予後は良好なので、全摘出せずに半分摘出(葉切除)~2/3摘出(亜全摘)するなどして経過を見ていたことが多いです。そのひとつの要因としては、日本はアイソトープを使える施設が限られていることもあげられます。

一方で、日本はエコーが非常に発達していて、診断技術は世界最高レベルです。諸外国ではエコーをするのにお金がすごくかかるので、手軽にできる環境ではありません。また、海外では危険度の高い進行したがんが多いのですが、日本には低危険度のものが多い。そういう理由で主な治療法が違ったのです。

今は、日本からの発信でアメリカの甲状腺学会でも、リスクの低いものについては葉切除を推奨するという風になってきています。あとは「微小がん」という1センチ以下のがんを、昔は手術をしていたのですが、日本の代表的な施設の論文発表が出て、手術をせずに経過観察する方法(アクティブサーベイランス)が現在確立しつつあります。そういったところで、日本が世界にインパクトのある発信をしていっています。

北村 : 日本ではエコーがかなり頻繁にされていて、その分診断技術も進んでいるということですが、僕たちAI開発側の視点から見ても、AI開発に重要となる「データの量と質」があるという日本は、とてもいい環境ですね。やり方次第で世界に誇れるAIを作っていける可能性があると思っています。今回まずは院内向けで作ってきましたが、今後伊藤病院さん以外の病院、もしくは国外への展開などのビジョンはお持ちですか?

北川先生 : 検診センターなど、エコーを大量に行うところでは、伊藤病院と同じくシェーマ作成が大変なので、そういうところには展開できるのではないでしょうか。

坪井 : 検診センターでは本当に役立つと思います。以前お話に出ていたのは、伊藤病院のスタッフの方というのは、技術的にとてもレベルが高い。そんな伊藤病院の知恵や技術を学んだAIとなれば、他の病院でもいろいろなサポートになるのではないかと思っていますがいかがですか?

天野さん : 専門病院だからこそ、症例は多く経験していますし、データもあります。もしそういうものが詰まったものができあがったら、それはもちろん役に立つのではないかと思います。

北川先生 : あとはリアルタイムに「ここが悪性っぽいからよく見てください」とか、そういうことがAIで指摘できるようになれば、すごく有用性が高いものになると思います。

甲状腺疾患専門病院のプライドを持ち、世界に発信できる医療提供を

北村 : AIに限らず、今後の長期的な方向性、ビジョンをお聞かせください。

北川先生 : 伊藤病院は創業時から甲状腺疾患一筋の専門病院で来ていて、それを受け継いできているのが私たちのプライドになっています。今後も甲状腺を病む方々のために甲状腺疾患だけはどこにも負けないような、世界に発信できるような診療を続けていけるよう精進していきたいと思っています。

北村 : その達成のために、今後何か僕たちに期待していただけることはありますか?

北川先生 : 本当にこのプロジェクトでお世話になってありがたかったですし、AIをよく分からなかった私たちにも教えていただき、非常に勉強になりました。ありがとうございます。この先、リアルタイムのシェーマ作成、悪性か良性かの診断といった具合に発展していけば、我々だけではなく世界の人たちのためになるようなエコー機器を作れると心から思っています。どうぞよろしくお願いします。

北村 : ありがとうございます。基本的に、僕たちAI屋だけでは何もできません。専門家の方たちの知識、知見、データを合わせて初めて意味のあるものが作れるので、ぜひ今後も一緒に何か作っていければと思います。

<参考資料>