第1回 83年の歴史を持つ甲状腺疾患専門「伊藤病院」が、AIの共同開発に取り組んだ理由

1日450件の超音波検査にかかる患者様の待ち時間を減らしたい

目次

甲状腺疾患専門病院として長い歴史を持つ「伊藤病院」は、インキュビットとの共同研究開発により、エコー画像からの腫瘍検知と、「シェーマ図」という医師の診断に重要なレポートを作成するAIを開発しました。

甲状腺の超音波検査(エコー)を予約なしで受けられる伊藤病院では、外来患者数の増加に伴い、検査から診断にかかる時間を短縮する必要性を感じていました。臨床検査技師がエコーで撮影した複数の画像から、腫瘍の大きさや位置をレポート化する作業をAIで自動化することで、外来患者の待ち時間の短縮と、臨床検査技師の負担軽減が期待されます。

本インタビューでは、共同研究開発プロジェクトに携わった、伊藤病院外科医師の北川亘氏と臨床検査技師の天野高志氏、インキュビットの北村尚紀と坪井りんが、今回のAI開発について語り合います。

第1回は、プロジェクトの背景や経緯を、インキュビットが感じた伊藤病院の雰囲気とともに振り返りました。

1日450件の超音波検査にかかる患者様の待ち時間を減らしたい

北村 : まずは伊藤病院についてご紹介いただけますか?

北川先生 : 伊藤病院は1937(昭和12)年創業の甲状腺疾患の専門病院で、東京・表参道という、かなり人通りの多い場所にあります。「甲状腺を病む方々のために」という理念のもと診療を行っています。全国から患者様が多く集まっておりまして、外来患者数は年間38万5千人、1日平均で約1300人です。そのうち超音波検査(エコー)は1日450件程度実施しています。

伊藤病院 診療技術部 部長 北川先生


北村 : 患者様が全国から来ているというところが特殊ですね。

北川先生 : 現在、甲状腺疾患を専門にしている施設は全国的にも少なく、甲状腺の専門医がゼロという県もあります。専門医や専門施設はどうしても大都市に集中しているので、北海道や九州、沖縄からいらっしゃる方もいます。地方の患者様のために、2004年6月に名古屋甲状腺診療所、2017年11月にはさっぽろ甲状腺診療所を開設しています。

北村 : 伊藤病院以外の国内甲状腺疾患専門病院はどのような状況ですか?

北川先生 : 一番はじめにできたのは別府(大分)にある「野口病院」です。当院初代院長の伊藤尹先生と、神戸にある「隈病院」の隈鎭雄先生が野口病院で学び、その後、隈先生は神戸で、伊藤院長は東京・表参道でそれぞれ開業しました。この3つが今の日本の代表的な甲状腺疾患専門病院となっています。
北村 : 伊藤病院では、今回のようなプロジェクトを他にも行っているのでしょうか?

北川先生 : AIを活用したのは今回が初めてですね。いろいろな検査や治療においては随時新しい方法や機器を取り入れています。たとえば、以前は検査当日に出せなかった血液検査の結果を当日出せるようにしたり、手術時間を短縮でき、出血量が減少する新しい手術用デバイスを取り入れたり。術中神経モニタリングシステムという機器を使って、神経麻痺がないかどうか手術中リアルタイムに確認しながら手術できるようにしたりなど、最新の機器は取り入れるようにしています。

北村 : 今回のプロジェクトでは、「エコーを撮って、それをもとに診断する」という流れの中でのAI活用を進めていきました。改めてお伺いしますが、プロジェクトのゴールは、どのように設定されていましたか?

北川先生 : 今回の研究開発プロジェクトのメインであるエコーは、伊藤病院では血液検査結果と同じように当日中に完結する検査です。他の病院ではエコーは予約制をとっているところもありますが、うちの場合、予約制をとっていないので、昼ごろになると患者様が相当多くなってきます。そのため多くの患者様を待たせてしまうこともありました。天野主任が検討した2019年のデータでは、エコーを受けるまでに3~4時間ほど待つ場合があるということでした。そこを改善したいということが、最初のとっかかりですね。
エコーというのは、臨床検査技師が撮って、それをベースに「シェーマ」を作ります。患者様が待つ時間をできるだけ短くするにはどうしたらいいかを考えたときに、エコーを撮る時間はそんなに短縮できない。そこでシェーマを作る時間を短縮するためにAIを活用できないかというところでプロジェクトが始まりました。

北村 : 先ほど、1日に約450人のエコー検査をするとおっしゃっていましたが、実際に何名体制でその人数のエコーを撮られているのですか?

天野さん : 曜日によって違いますが、全部で11台のエコー機器を使って、大体12~14人ほど、多いときは15人や16人に増やしながら行っています。

北村 : そうすると、1人あたり1日30~40人の検査をしていらっしゃるということですよね。

天野さん : そうですね。曜日によってスタッフが少ない日や、患者様が多い日があると40~50人くらい担当することもあります。

北村 : それは大変そうですね。

北川先生 : 大変ですよね。なので、患者様の待ち時間を減らすことで満足度を上げることのほかに、技師さんの負担軽減も目的としてあります。さらに、外来中、医師がエコーが終わるのを待っている時間もあるので、効率化を図ることで医師の負担も減るだろうと思います。最終的にはエコーの診断にもAIを活用したいと考えていますが、まずはシェーマを作るところをインキュビットさんにお願いしたという経緯です。

北村 : 以前からこの領域にAIを使っていこうという構想はあったのですか?

北川先生 : AIが甲状腺の分野に導入されている事例はありますが、シェーマ作成に AI が活用されている事例はないと思います。そこに AI が活用できるのではないかという発想はありましたね。

しこりの位置を示した「シェーマ図」の作成をAIで自動化

坪井 : 今回のプロジェクトの課題である「シェーマの作成」の意図や作業内容を詳しく教えていただけますか?

北川先生 : まず、首にある蝶々型の内分泌臓器が甲状腺です。そこにしこり(腫瘍)がある場合、どこにどれぐらいの大きさであるのかを示した図がシェーマです。医師はシェーマを見て腫瘍の位置や大きさを確認し、細胞診検査(腫瘍細胞の一部を採取し、顕微鏡を使って調べる方法)や手術をするかどうか決めたりするので、正確なシェーマ作りが求められます。それをAIで作成できるかというのが、今回プロジェクトの基本線です。

北村 : 実際に技師さんがシェーマを作成する際には、何を見てどう作っていらっしゃるのですか?

天野さん : 甲状腺が腫大しているかどうか、腫瘍がどこにあるかというのを、エコーで観察していきます。画像の撮影時には、甲状腺の形をしたボディマークというものに、この腫瘍はどの位置かをマークします。それをもとにして、シェーマ図というものに腫瘍がどこにあるかをプロットしてレポート化します。

坪井 : シェーマ図作成に時間がかかるのはどうしてですか?

天野さん : 多数の腫瘍がある場合でも、それを1つひとつ反映させなければなりません。中には20個30個の腫瘍がある方もいらっしゃいますし、腫瘍同士の位置関係も非常に重要です。それを反映するために時間がかかります。

坪井 : 技師さんが作ったシェーマは、最終的にどういう風に使われるのですか?

天野さん : 撮影したエコー画像、腫瘍の計測値、シェーマの3点を1枚にまとめたレポートが電子カルテに反映されます。それを医師が参照して診療する流れです。

北川先生 : 医師はレポートが上がってきたら、エコー画像とシェーマを見て、細胞診検査をするのか、経過観察だけでいいのかなどを判断します。その結果を患者様にお話しして、精密検査が必要な方には行っていきます。次の検査をするなり、経過観察をするなり、考える材料になりますので、レポートは非常に重要です。

北村 : 伊藤病院さんは独自のシェーマ図のクオリティ水準などをお持ちなのですか?

天野さん : 臨床検査技師が撮影した画像をもとにシェーマを作る段階で、「その腫瘍は良性寄りなのか悪性寄りなのか」を判断してシェーマに所見として落としています。その判断については、症例数をあまり多く経験していない病院よりも、専門病院である伊藤病院は特化できているのかなと思います。

北村 : 個人差はあると思いますが、シェーマ作成には1人あたりどのくらいの時間がかかるのでしょうか?

天野さん : 軽微なものであれば、おそらく1分くらいですが、手術前の患者さんだったり、腫瘍が多数ある患者さんだったりすると、5分から10分位かかります。

本当に時間短縮につながるAIとは?議論を重ねて課題を精査

北村 : 今回僕たちがご一緒させていただくことになりましたが、そもそもAI会社の選定はどのようにされていましたか?

北川先生 : うちのシステム担当の齋藤室長が、インキュビットさんが出展していた展示会に行ってお話を聞いたことがきっかけですね。CTにAIを使う事例をお聞きしたときに、齋藤室長が興味を示しまして、ひとつやってみようという話が来ました。もう1社、診断の方で走っていたプロジェクトがあったのですが、そちらとは違い、シェーマに特化したものを作ろう、共同研究をしていきたいという話をこちらからさせていただきました。

北村 : ご提案書を作らせていただくときに、「どこの部分のAIを作るべきか」「どうオペレーションするのか」というのは社内でもいろいろ議論して、うるさいくらいヒアリングさせていただいた上でのご提案でした。坪井は提案書を作るにあたってどういうところに気をつけていましたか?

坪井 : 最初のヒアリングをしたときに、実際のエコー画像を見せていただいて、「いろんな腫瘍のタイプがあります」とか、「エコーの内部があまり写っていない場合、均質ではない場合があります」とご説明いただいたのですが、一切見方が分かりませんでした。真っ黒な画像にしか見えなくて、「どうしよう」と思ったのがスタートでしたね。
見方が分からないと、今後プロジェクトをやっていくことが難しいと思い、まずはひたすらエコー画像の見方を勉強したことを覚えています。また実際に「シェーマ作成」の中にも、ナンバリングをする、大きさを測る、悪性と良性の区別をつけるという風に、実はいろいろな工程があります。そういったことをヒアリングしながら、優先順位が高い作業は何なのか、AIで何ができたら本当に時間短縮になるのかといったことを考えて優先順位付けをしました。
たとえば、悪性と良性の腫瘍をAIで判別したいというご要望もありました。ですが、「それをしてもたぶん時間短縮にはつながらないから、次の課題にしましょう」といった形で、やりたいことと実際に効果が出るのかということを切り分けていく。そんなプロセスで進めました。

北村 : かなり詳細にヒアリングしながらご提案資料を作らせていただいたのですが、僕たちに決めていただいた最終的な「決め手」は何でしたか?

北川先生 : 決め手は北村社長の人柄じゃないですか?すぐ反応が返ってくるのが私たちからするとすごくいいなと思いましたね。さすがAIをやっていらっしゃる社長さんだなと。あとは、出来るところと出来ないところをしっかり教えてもらったのも重要なポイントでした。スタートしてからも、コロナもあって大変な時期もありましたが、オンラインミーティングでも対面と変わらず、密にお話ができたので理解が深まり、すごく良かったです。

円滑にチーム間の連携が行われる伊藤病院だからこそスムーズに進んだ

株式会社インキュビット 代表 北村

北村 : そんな風に言っていただけて嬉しいです。逆に僕たちは、伊藤病院の皆さんと話していて、本当に現場の方々がシステム担当の方や先生たちの判断を尊重していましたし、一方で、先生たちも現場スタッフの方を尊重していらっしゃる。お互いに尊敬しあっているチームだなということを感じました。また、ヒアリングのときには、僕たち素人にすごく簡潔に分かりやすく説明していただいて、本当にプロジェクトがやりやすかったです。

坪井 : 私も同じ感想です。伊藤病院内では、チームが違う人もそれぞれが思いやっていますよね。内科のお医者さんが「今、技師チーム大変だよね、何とかできないかな」とおっしゃっていたりとか。そういう思いやりやチームワークの良さにはどんな秘密があるのですか?

北川先生 : うちは甲状腺専門病院で甲状腺診療に興味のある医師の集まりなので、医師の間の派閥などはないですし、いろいろな大学からいろいろな先生が来て、それぞれ仲良くやっています。あとは、病院全体で集まることが多いのです。今はコロナの影響でなくなっていますが、全職員での病院旅行なんかもやっています。
他にもホテルの宴会場を借りて懇親会をしたり、永続勤務者を表彰したりと、職員全員を大事にする病院です。院長・副院長も話しやすいですし、壁があまりないですから、どの職員も院長などに話しに行ける環境にはなっているので、そういうところが雰囲気に出ているのかなと思います。天野主任どうですか?

天野さん : 私もそのように思います。院長も副院長もすごく話しやすいというのは大きいと感じています。エレベーターなどで一緒になったときも、「元気?」と話しかけてくれたりするので、そういうところに「職員を大事にする」という伊藤病院としてのチーム感が出ているのかなと思います。